オープンエイト 高松雄康さんゲスト講師

教えてもらったスマートフォン向け動画広告の話を他のブログで書きました。

企業のマーケティング活動で、「ウェブを用いるのは当たり前」という感覚は若い人ほど強く持っているはずです。

NHK放送文化研究所による「日本人とテレビ・2015」調査(対象は16歳以上の男女)では、テレビを見る時間について「ほとんど、まったく見ない」「30分ぐらい」「1時間」と回答した人の合計が全体では24%。これに対して、16〜19歳では41%でした。逆にインターネット(メールを除く)を毎日利用する人は全体では38%。16〜19歳では65%でした。

(続きはこちらで↓)

きょうもトケコミ: スマホ向け動画広告のお話(ウェブ・マーケティング論ゲスト講義)

2年ゼミ教材『インターネットとhogehoge』

年間30回のうち6回は知識習得を目的として下記の論考を読むことにします。理解すべきキーワード5つの説明・定義と800字の要約を各人が作って紙で人数分持参すること。

 

第1回:インターネットと情報の量と質

『99.996%はスルー 進化と脳の情報学』

竹内薫・丸山篤史, p.44-63.

「「情報の接触経路」の破壊的変化に新時代のデジタル戦略は即応すべきだ」

藤村厚夫, Journalism, p.6-14.

Naverまとめインセンティブ制度

インセンティブ制度の詳細 - NAVERヘルプセンター

奨励金制度の詳細(2014年9月~) - NAVERヘルプセンター

 

第2回:インターネットと人間関係

「ケータイの現在 アドレス帳としてのケータイ」

辻泉, 『デジタルメディア・トレーニング』p.23-45.

『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』

ダナ・ボイド, p.8-44.

書評:つながりっぱなしの日常

yuichisasaki.hateblo.jp

 

第3回:インターネットと組織/協働

「オープン・イノベーションという新たな武器」

星野達也, 『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー』, 2015 June, p.85-93.

「今、大きな注目を集めるクラウドファンディング

山本純子, 『クラウドファンディング』, p.10-54.

readyfor.jp

www.kickstarter.com

camp-fire.jp

 

第4回:インターネットと企業広報

『メディア化する企業はなぜ強いのか』

小林弘人, p.44-91.

「トリプルメディア+1 マーケティングのエコシステムを活用するためのオウンドメディア「コカコーラパーク」のプラットフォーム化」

江端浩人, 『マーケティングジャーナル』, 31(3), p.29-44.

c.cocacola.co.jp

 

 

第5回:インターネットと産業構造

「プラットフォームビジネスとは」

根来龍之, 『進化するプラットフォーム』, p.81-108.

「オンデマンド」サービス/労働の社会的意義

海部美知, KDDI総研レポート, 2016年2月号

play.google.com

www.airbnb.jp

https://www.uber.com/

 

第6回:インターネットによるモノと能力の接続

 

 

「IoTからIoAへ、人類を拡張するネットワーク」

暦本純一, 日経エレクトロニクス, 2016.02, 89-101.

 

 

 

 

トケコミ20周年シンポジウムを終えて

12月12日のコミュニケーション学部開設20周年記念シンポジウムの備忘録。

客観世界は存在しない。主観世界は交流し、影響し合う。(ドミニク・チェン)

個人が作りソーシャルメディアにアップロードされた情報やプレイリストが多くの人に見聞きされ利用される。多くの人に向けて発信されたニュースが個人の解釈を伴って自分のソーシャルメディアに流れてくる。つまり向きの異なるふたつの流れがウェブでは交差している。(藤村厚夫)

ことばは出来ない方が良いこともある。ことばができてしまうと、こちらの希望に対してNOが宣告されてしまう。ことばができなくても、僕がカメラとともに相手に近づいていけばNOとは言われない。(荻野NAO之)

不正確な部分は容赦してもらうとして、こんなことばがエッセンスとなったシンポジウムであった。つまりは、コミュニケーションはつねに主観によって(ある程度の)ハイコンテキストで展開されているというわけだ。

その晩に届いた西垣通さんからのメールがまたこれを発展させる内容で、本人は「まあ、当たり前のことですが」と添えてはいるが、素晴らしい。私なりに少し編集して書くと、

それに対してコンピュータはコンテキストフリーを目指した論理機械であった。とはいえそれが用いるアルゴリズムによって、逆に「わかりあえる少数の人々のハイコンテキスト・コミュニケーション」がネットでは生まれつつあるという面もある。したがって、大切なのは「両者の緊張関係を意識しつつ、ハイとローをむすぶメタな立場でのコミュニケーションのあり方を考えること」ではないでしょうか。(西垣通

人間=機械複合系ということであるが、私も次の20年で、学生に伝え、少しは貢献していきたい部分である。 

 

100回の同一事件と100個の同種事件の弁別不可能性

1つの事件を100回聞くのと、同種の異なる事件を100個聞くことの区別が人間はそもそもできない(まだできるようになっていない)のではないか 。

 これが明治大学で開催された社会情報学会のシンポジウムでの認知科学者 鈴木宏昭氏の発言で最も記憶に残ったものだった。

シンポジウム企画 | 2015年 社会情報学会(SSI)学会大会

 

「人間とは記号や表象の操作をする存在ではもともとなくて、自分の身体をうまく動かすことが人間にとっての知性であった」という言葉からはじまった彼の講演は、私たちはすべてのシーンをスキャンしているのではないというChange Blindness(徐々に変化した場合に下図の左右の違いに気づかない)、取り出しやすい記憶を優先的に使って判断してしまう利用可能性ヒューリスティックの知見を紹介しながら次のように結論づけられた。

 

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記号や表象に対して、メディアがこうも繰り返し取り上げて、また普通の人が(それも自分に嗜好が近い人が)ソーシャルメディアで発信する情報にも繰り返し触れているとすれば、私たちはまともな判断ができないのではないか。

 

これはもちろん仮説ではあるが、たしかにネットでの情報量が爆発的に増えたのはここ10年以内、テレビだってたかだか60年である。そこには教育効果もさほどないはずであるというのが鈴木の見立てであった。

 

ちょうど先般、初稿を書き上げたツイッターに関する本で、「否定的な感情が込められたツイートは「気持ちを吐き出して」カタルシスを得るために「読み手を特に想定しない」で投稿されることも多い」と実証データに基づいた記述として書いた。コストが低すぎるコミュニケーションやコストが低すぎるコピー行為はなるほど人間の認知の側面からもデメリットを語れるのかもしれない。私は意志の力とのバランスや意味的なノイズとの関係で考えていたのだが。

 

近頃は「コストのかかるユーザーインターフェイス」というのが一つのキーワード。ジョセフ・ヒースの『啓蒙思想2.0』も読み始めているが、その本の帯には「メディアは虚報にまみれている。政治は「頭より心」に訴えかける。真実より真実っぽさ、理性より感情が優る「ファストライフ」から抜けだそう!」とある。