『AIという名の鏡』シャノン・ヴァロー, 2024=2026

『AIという名の鏡』の表紙を左に90度倒すと、松山しげきの描いた『Narcissus Stares into the Water #01』が目に飛び込んでくる。水面に映る自分の姿の美しさに魅入り、最後には命を落とすのがナルキッソスだけれど、本書の核心は、タイトルが示す通り「AIは鏡である」という比喩にある。

www.tkd-pbl.com

AIは人間と同じように理解し、判断し、未来を構想する存在ではない。そうではなくて人間が残してきた言語・行動・制度・偏見・価値観の痕跡の一部を再構成し、私たちに映し返す技術にすぎない、というのがヴァローの指摘で、でもそれでいながらAIによって人間が自分自身を忘れてしまうことが十分にあるというのが彼女による私たちへの警句だ。

警句はヴァローが参照する「テクノモラル」という概念を使うと想像しやすくなる。「テクノモラル(の変化)」とは、テクノロジーが人間の価値観によって方向づけられること(たとえばAIアラインメントというやつ)であり、そのテクノロジーが人間の価値観を再形成していく過程を指す。つまり重要なのは「何が本当に善か/正しいか」ではなく、「人間が何を善と考え、何を正しいと考えるか」とそれがどう変わるかであり、それがテクノロジーに反映されるとまた人間へと跳ね返ってくるという点だ。彼女は徳倫理学者だから善と正しさを取り上げるが、私はAIコンパニオンとしての利用も想定して楽しさや快も加えたい。

この意味では、AIは単なる道具ではなく、人間の判断基準・責任感・自己理解を変容させる人工的な環境でもある。AIは人間のように理解しているわけではない。しかしそれは人間社会を映し返し、人間の価値観や自律性までをも変えていく力をもつ。私も同意するところだ。当たり前のことだけど、AIをどう使うかは、最終的に、人間がどのような未来を望むかという問いに接続している。だから個人でもどうなりたいのかをある程度想像してから使ったほうが良い。

本書は専門用語をそこまで用いずに幅広い視点と多くの具体例を用いて人間と計算機(AI)の関係を描写しているし、技術の記述やAI企業のビジネスも適量で読みやすい。またAIへの依存を「自律性」の問題として扱う視点は生成AIを日常的に使い始めた学生に切実に響くようにも感じた。私はAIを扱った本は多数読んでいるが、このテーマをヒューマニティの視点で捉えるには良書である。

とはいえいささか規範的な議論であるとの点は付記しておきたい。AI利用にあたって「私たちの主体性や自律性が失われないように注意しよう」という言葉の力がどれだけ有効なのだろうか(たぶんそれほど有効ではないでしょ)というのが、すでにスマホ+ソーシャルメディアでかなりの程度自律性の喪失は進んだと考えている私が思うことでもあるからだ。

今年も「コンピュータと人間」という大学の授業で、ちょうどアークテクチャ、アフォーダンス、ドーパミン、アテンション・エコノミー、フィルターバブル、デジタル・ウェルビーイング、コンヴィヴィアリティ、思考の自転車、動画のモダリティ特性などの言葉とともに聴講者たちがなぜ毎日7時間スマホを使い、その半分ほどの時間をTikTok and/or YouTubeに費やすのかを解説しおえたところだ(ついに最も長い時間使っているアプリでTikTokが1位になった)。

アテンション・エコノミーとフィルターバブルくらいは中学時代に知っていて欲しいのだけど、2割以上の出席者が知っている言葉はゼロで、「やっと自分がスマホ+ソーシャルメディアにこれだけの時間を吸い取られているのかがわかりました。習慣というのは考えないで済むということなのですね」という感想が並ぶ。そしてそれらの感想が彼らの行動を変えるには至らないことも私は知っている。だから著者のヴァローには専門ではないにしても社会実装に向けてのアイディアがもうちょっと具体的に書かれていても良かったという注文をつけておく。

私の授業にまつわるこの風景はもう5年以上続く見慣れたもので、すでに二十歳を迎えた学生のスマホ歴だけが徐々に伸びている(今年は小学校高学年以前から利用を開始して10年以上という学生も2割に)。

むろんAIの場合はソーシャルメディアを見てるだけというのとは異なり、まずはこちらから働きかけるのが基本だし、そのダウンサイドリスクは10年前のソーシャルメディアよりも重く見られているようだから、なんらかの規制などは早めに講じられるようにも思う。けれども技術革新の速度も速く社会的な導入機運も高いので、広告モデルが主流になる前にかなり迅速なルール作りが進まないとAIも私たちの自律性なんてものは(少なくともある程度は)難なく奪っていく可能性は高いというのが、少なくもと今の時点での、私の考えである。

「多拠点コミュニティサービス」へとサービスコンセプトを変更した「ADDress」

11月30日にサービスコンセプトが「多拠点生活」から「多拠点コミュニティ」に変わった「ADDress」というサービスがあります(あれ、Titleタグの変更はまだ?)。

ADDress【公式】| 地域の人と出会える二拠点生活・多拠点生活プラットフォーム

 

簡単に僕なりに書くと、これまでは各地の主に空き家を利用して泊まり歩くサービス(ただし1ヶ所滞在もある程度までの長さまで可能)。それがこれからは、それに加えて、泊まらずとも気になっている地域を訪れて、その地域にあるコミュニティを感じられるサービスになったという感じ。

もちろんこれまでのように泊まることもできるし、新たに登場した月額980円という従来の1/10 (!) となったエントリープランを6ヶ月利用していると1泊分の宿泊券ももらえるので、その「コミュニティプラン」でも宿泊のチャンスはめぐってくる。

 

さて、実は今回のサービスコンセプトに関して僕が一番気に入ったのは、社長の佐別当さんが、(不正確なのですが)「つきつめると、人と人のつながりが得られるのは一緒に食事をすることを通してだ」というようなことを言っていて、(こちらも不正確なのですが)「だからコミュニティコースには、毎月ある地域の人たちとの食事会の権利がついてくるようにした」と言っていた点だったのです。

「気の合う人たちと飯を食いながらわいわいやるのは確かに楽しい。最高だ!」というのは多くの人は経験があるところだと思いますが、これってまさに「コンヴィヴィアリティ」の語源なんです。

このことばはイヴァン・イリイチという人の『コンヴィヴィアリティの道具』のなかで出てくるもので「自立共生」と訳されることが多いのです。

www.chikumashobo.co.jp

 

「〜〜の道具」という書名から想像できることですが、たとえばスマートフォンは、あるところまで私たちが使っている立場だが、あるところを超えると私たちがそれに使われてしまうというような文脈で「コンヴィヴィアリティ」は語られることもあります。というわけで、『コンヴィヴィアル・テクノロジー』なんて本も出ています。

convivial.tech

 

話を戻すと、僕としては、「自立共生」よりも「気の合う人たちと飯を食いながらわいわいやるのは確かに楽しい。最高だ!」というほうが人間らしくて、訳語として良いな(長すぎるよ!)と思ったりするわけです。しかもADDressの場合、現地の食材も楽しめるわけで。

www.chikumashobo.co.jp

 

ここまでが大いに期待していますという僕の気持ちです。

 

同時に懸念も少し表明しておきます。一つ目は「コミュニティ」という言葉について。「コミュニティ」というのは実は閉鎖的だし、そうなりやすい。また今回新しい役割として作られた会員と地域の人をつなぐ「街守」さんを頂点としたヒエラルキーを作りやすい。だから言葉としても、本来ならば「コミュニティ」よりも、人の流動性が高く、参加者がよりフラットな関係で、ボトムアップナ組織を意味する「アソシエーション」の方が望ましい。

まあ「ネットワーク時代のコミュニティ」という意味で言葉として定着してしまったし、僕自身も『Linuxはいかにしてビジネスになったか コミュニティ・アライアンス戦略』という本を書いていて、そこで使っているわけだから大きなことは言えない。だからおじさんの寝言みたいなものですが、でも「街守」がLinuxのリーナスみたいにうまくやれるのかはとても肝。

www.nttpub.co.jp

 

もう一つは食事会がどのようなものになるかです。下記のページの「食事会について、もっと詳しく知りたい」という部分によれば、参加者が自分の食事は自分で用意するポットラック形式が主に想定されているようです。他に飲食店での食事などの場合もあるようですが、実際の様子を知りたい。たぶん、ここはまだこれからの試行錯誤なんだと思います。

address.love

 

僕自身は、たまにならこういうタイプの食事会はそれなりに楽しめるタイプですが、けっこうひとりでも大丈夫ですし、むしろひとりの時間が好きな人でもあるので、「コミュニティ」と言われるとためらう気持ちもあります。

ただし最後に一言書いておくと、ADDressはみんながみんな交流好きの人が使っているサービスというわけではなくて、むしろ放っておいてもらいたい人は放っておいてもらえるサービスのようです。それは11月30日のADDress5周年記念でもこんな発言が会員のひとりから聞かれたからです。

「生活をリセットして、一度ひとりになる。それからそういう気持ちになれば人と関わっていく。ひとりでいることも尊重される。関わっていったときにうまくいけば役割が与えられていく」

ということで、応援する気持ちでなんと2年半以上ぶりのブログ投稿です。

2021年度2年ゼミ講読書籍

インターネットが社会にもたらす影響を(SNSだけじゃなくて)広く知るためにこんなラインナップで行くつもりです。副読本も含む。2期は未定の部分もあります。それぞれ1冊まるまる読むわけではありません。

 

情報の量と質

  • Sinan Aral, HBR, Fake News論文
  • 竹内薫, 99.996%はスルー

組織の境界・協働

  • ドミニク・チェン, フリーカルチャーを作るためのガイドブック
  • ヘンリー・チェスブロウ, オープンイノベーション

ソーシャルメディアと脳

べき分布ロングテール

プラットフォーム

  • ジェフリー・パーカー, プラットフォーム・レボリューション
  • アルン・サンドララジャン, シェアリング・エコノミー

ビッグデータとAI

アルゴリズム

身体性とウェルビーイング

  • 伊藤亜紗, 手の倫理
  • バーバラ・トヴェルスキー, Mind in Motion

昨年の様子、2021年挨拶と目標のようなもの

新年あけましておめでとうございます。

 

紙の年賀状を送った数は30を下回り、その宛先は紙じゃないと連絡を取れない先輩方、そしてほとんど会うことはなくなってしまったが一時苦楽をともにした人たちという感じになった。逆に今でもFacebookなどのオンライン経由でたまに近況を知る人には紙で出さなくなった。主にその人たちの一部に宛てて、公開という形で書いてみよう。一大学教員の2020年の記録だな。

 

昨年は大変な年だった。これは多くの人に当てはまるだろうが、大学教員も同様だった。もちろん給与は変わらずもらえるのでとても恵まれた部類ではあるのだが。

3月後半に極めて慌ただしく卒業式がなくなり、入学式もなくなり、ZOOMオンライン授業が決まった。授業開始が2週間遅れ、東京五輪の分を差し引いても1回減ってしまった。なので、講読中心の2年ゼミ生に紙の教材を郵送するなど少しの特別対応はあったものの4月はむしろ通勤時間がゼロになったメリットを感じていた。

4月、5月は学部として1年生へのケアが重視された。私は1年生向けの導入教育ゼミでは、夜にオンライン茶会を開き、会の後半で私が抜けて学生同士の交流機会を2度設けたりした。

私は講義教材はKeynoteを使っていたので、ZOOM形式への対応はさしたる問題を感じなかった。けれどもこの生活に下記のようなエクストラ業務が加わり、ボディブローのように徐々に効いていった。

まずエクストラ業務として発生したのが、120周年の学部事業として企画していた「回遊型ゼミ」の企画練り直し、そしてオープンキャンパスのWeb化に伴う学部ビデオの制作ディレクション。制作そのものも一部やったので5月に入ると週に6時間は時間をとられた。

また文科省のルールでは、オンライン授業では毎回課題を出し、その結果をフィードバックすることが求められるので負荷が貯まっていく。すべての人がやっていたとは思えないけどね。通常でも2回に1度はやっていたリアクションペーパーの提出だったがこの分の作業が増えた。

オンライン開催となった6月の人工知能学会に3日出て、けっこうな時間を熱心に聞き、週末に採用面談をオンラインで複数こなしていたころに完全に体がいかれた。ひどい頭痛に襲われるようになった。

前期は何とか乗り切るが、夏休みもオンラインオープンキャンパスに動員される。対応できないご老人は完全に休めて楽でいいなぁと思う。

2期になると、週に1度のある曜日で3コマが対面授業となった。他に2年ゼミは対面回とオンライン回とにわけて、結果的に14回のうち9回は対面となった。というわけで出校は概ね週に1.6回だったことになる。

さて2期のエクストラ業務。今度は2学科体制のWebの制作ディレクション。ちなみに1人でやっているわけはなく、同僚と優秀な外部スタッフとのチーム編成。これはありがたいがコミュニケーションに取られる時間は増える。なんで教員が制作をやっているの? って話でもある。普通の会社なら広報課の仕事だよ。

これに週に4時間はとられたが、その時間があれば卒論3本の朱入れはできる。成果物は下記。けっこう良いものできたと思っている。

東京経済大学コミュニケーション学部|メディア×国際の未来をひらく掛け合わせ

 

卒論指導は毎年のとおりエネルギーが必要だが、その間ちょっとした業務を3つ任され、さらに入試関連の週末業務も多くマジで疲れがたまりました。休みがないので。私たちには代休はない。そして2学科体制の広報責任者にもさせられる。この時期から外部の仕事はすべて断るようにした。また体が壊れるとまずいので。

2期は今年から担当した新規の科目の存在も意外と大きかった。教材は休み中にほぼすべて作っていたが、学生相手に話せる量がわかっていないので、微修正がそれなりにあった。

1.6日勤務で楽じゃないかという人たちはまともな大学教員の仕事が研究であることをしらない人だな。実はこの間、ずっと休まず動いていたのが2カ年にわたる外部研究資金による9つのWeb調査。これの責任者だったので、分析とプロマネをやっていたというのもある。この9つのうちの最後は2021年1月末をもって終了。そして3月に報告書を書いて終わり。これも3人でやっているけど、10万字は超えるだろう。

来年度(今年)はどうなるのでしょう。ともあれ最後に書いた研究成果を書籍にしたいなと思っている。出版は急がずに時間をかけてね。同テーマでは、論文投稿を来週する予定で、英語で書けそうという内容が別に1つある。もうひとつ全然別のやりたい研究テーマもあるのだが、こちらは昨年はまったく手つかず。

でも研究の量は前年比で半分にしようと思っている。アウトプットためのインプットばかりで、つまり研究が労働化していて「これ良くないわ」という感覚があったので。コロナ禍完全終息は考えにくく、また何かやらされるだろうから。

PCのある部屋にいると結局仕事しちゃうのも大問題で、学校や教室に行って、その時間は肉体労働でPCから離れるというのも重要。引き続き、水泳とジョギングはつづけたいと思っている。

当然、自分の生活改善のみならず、世の中が少しはマシなほうに動いてくれればとも思います。

 

では、本年もよろしくお願いします。