「多拠点コミュニティサービス」へとサービスコンセプトを変更した「ADDress」
11月30日にサービスコンセプトが「多拠点生活」から「多拠点コミュニティ」に変わった「ADDress」というサービスがあります(あれ、Titleタグの変更はまだ?)。
ADDress【公式】| 地域の人と出会える二拠点生活・多拠点生活プラットフォーム
簡単に僕なりに書くと、これまでは各地の主に空き家を利用して泊まり歩くサービス(ただし1ヶ所滞在もある程度までの長さまで可能)。それがこれからは、それに加えて、泊まらずとも気になっている地域を訪れて、その地域にあるコミュニティを感じられるサービスになったという感じ。
もちろんこれまでのように泊まることもできるし、新たに登場した月額980円という従来の1/10 (!) となったエントリープランを6ヶ月利用していると1泊分の宿泊券ももらえるので、その「コミュニティプラン」でも宿泊のチャンスはめぐってくる。
さて、実は今回のサービスコンセプトに関して僕が一番気に入ったのは、社長の佐別当さんが、(不正確なのですが)「つきつめると、人と人のつながりが得られるのは一緒に食事をすることを通してだ」というようなことを言っていて、(こちらも不正確なのですが)「だからコミュニティコースには、毎月ある地域の人たちとの食事会の権利がついてくるようにした」と言っていた点だったのです。
「気の合う人たちと飯を食いながらわいわいやるのは確かに楽しい。最高だ!」というのは多くの人は経験があるところだと思いますが、これってまさに「コンヴィヴィアリティ」の語源なんです。
このことばはイヴァン・イリイチという人の『コンヴィヴィアリティの道具』のなかで出てくるもので「自立共生」と訳されることが多いのです。
「〜〜の道具」という書名から想像できることですが、たとえばスマートフォンは、あるところまで私たちが使っている立場だが、あるところを超えると私たちがそれに使われてしまうというような文脈で「コンヴィヴィアリティ」は語られることもあります。というわけで、『コンヴィヴィアル・テクノロジー』なんて本も出ています。
話を戻すと、僕としては、「自立共生」よりも「気の合う人たちと飯を食いながらわいわいやるのは確かに楽しい。最高だ!」というほうが人間らしくて、訳語として良いな(長すぎるよ!)と思ったりするわけです。しかもADDressの場合、現地の食材も楽しめるわけで。
ここまでが大いに期待していますという僕の気持ちです。
同時に懸念も少し表明しておきます。一つ目は「コミュニティ」という言葉について。「コミュニティ」というのは実は閉鎖的だし、そうなりやすい。また今回新しい役割として作られた会員と地域の人をつなぐ「街守」さんを頂点としたヒエラルキーを作りやすい。だから言葉としても、本来ならば「コミュニティ」よりも、人の流動性が高く、参加者がよりフラットな関係で、ボトムアップナ組織を意味する「アソシエーション」の方が望ましい。
まあ「ネットワーク時代のコミュニティ」という意味で言葉として定着してしまったし、僕自身も『Linuxはいかにしてビジネスになったか コミュニティ・アライアンス戦略』という本を書いていて、そこで使っているわけだから大きなことは言えない。だからおじさんの寝言みたいなものですが、でも「街守」がLinuxのリーナスみたいにうまくやれるのかはとても肝。
もう一つは食事会がどのようなものになるかです。下記のページの「食事会について、もっと詳しく知りたい」という部分によれば、参加者が自分の食事は自分で用意するポットラック形式が主に想定されているようです。他に飲食店での食事などの場合もあるようですが、実際の様子を知りたい。たぶん、ここはまだこれからの試行錯誤なんだと思います。
僕自身は、たまにならこういうタイプの食事会はそれなりに楽しめるタイプですが、けっこうひとりでも大丈夫ですし、むしろひとりの時間が好きな人でもあるので、「コミュニティ」と言われるとためらう気持ちもあります。
ただし最後に一言書いておくと、ADDressはみんながみんな交流好きの人が使っているサービスというわけではなくて、むしろ放っておいてもらいたい人は放っておいてもらえるサービスのようです。それは11月30日のADDress5周年記念でもこんな発言が会員のひとりから聞かれたからです。
「生活をリセットして、一度ひとりになる。それからそういう気持ちになれば人と関わっていく。ひとりでいることも尊重される。関わっていったときにうまくいけば役割が与えられていく」
ということで、応援する気持ちでなんと2年半以上ぶりのブログ投稿です。