*[Web,Media]ザッカーバーグの言うオープンはオープンではない(株主への手紙)

2月1日以来、アメリカでもFacebookIPOが大きな話題になっている。いやでも目に入る記事をいくつも読んで、僕の持っていたイメージよりもザッカーバーグが遥かに成熟しており、高貴な思想の持ち主であることを知った。


だが、調達資金の使途が不明確なIPOは不必要でもある。結局従業員と株主を喜ばせるだけのIPO。そのタイミングとしては世間的な評価のピークに近い今が良いと思うんだが、奇妙なIPOであることには変わりはないだろう。


というやや否定的な見解を持ちつつ、日経新聞にも全訳が出たザッカーバーグからの株主への手紙についても目を通してみたのだが、これがまた変なんだよね。僕にとっては。
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819499E2E0E2E2828DE2E0E2E0E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2


それはこういう文句から始まっている。

フェイスブックはもともと、会社を作るために始めたサービスではありません。「世界をよりオープン(開かれたもの)にして人びとの結びつきを強める」というソーシャル(社会的)な使命をなし遂げるために、作られたものです。

ふむふむ。このミッションには概ね賛成するのだが、オープンという言葉がひっかかる。というのもFacebookはインターネットの中に閉じた世界を作っている企業だから。誰もがアクセスできる意味でのオープンではない。あまり良くないたとえだけど、遅れてきた、とてつもないアプリを引っさげてきたプロジディ。エンジニアの質も経営陣の質もぜんぜん違うけどね。


さらに読み進み、以下の部分でまったくザックの言っていることが全くわからなくなる。まあ彼は「信じている」のだからしょうがないけど。

多くを共有する人は――例え親友や家族とだけでも――よりオープンな文化を生み、他人の人生や考え方についてよりよく理解できるはずです。このことにより非常に多くの強いつながりを生み出し、人びとが多様な考え方に触れる機会を作ると信じています。

多くの共有をする人が、他人の人生や考え方についてよりよく理解できるとは私には思えないなぁ。多くの共有をする人は、他人との違いが存在することには気づくだろう。だが、そのことが他人への理解につながるとは思えないのだ。ここの壁は厚く、高い。もっと言うと考え方の近い人がお互いちょっかい出して喜んでいるんじゃないの。平時には。


いざという時のソーシャルメディアの有用性は認める。切羽詰まった時の共有がものすごい力を生むこともある。でも自分の「過剰な近況」を共有し続ける状態にある人に、深い意味で相手を理解する気などほとんどないと思うけどね。仮に相手を理解していてもそれは表層的なものだろうという僕の考えはおかしいのだろうか。よく言われるように所属欲求と承認欲求を満たすだけの道具ではないだろうか。僕だってそれを使う動機はそんなところにある。でも少しは受け手に対して気遣いがあるということかな。


ということで、これは「Facbook本」を読んだ時にも感じたことだけど、ザッカーバーグにとっては「オープン」なんかよりも「共有」という行為そのものが絶対的な善なのだろうとやはり思うわけである。オープンについては、彼にとってはある種どうでも良い言葉。公(オープン)に共有しようが、仲間内で共有しようがどっちでも良いのである。違うかな? 「ハッカーウェイ」って言っているのだから、ハッカー的な「オープン」の意味も「共有」の意味も知っているはずだけど、そこについての思い入れはストールマンの鼻くそほどもない。


たとえば上の部分については、「オープン」を「フラット」と置き換えたってすんなり読めてしまう。むしろそのほうが誤解を招かずしっくりくる。情報を共有するということは隠蔽することの逆で、これは情報秘匿による権力の発生を抑えようという話につながるからである。現にそれは以下の部分でも述べられている。

人びとがこうした関係を構築することを手助けすることにより、情報の共有や消費の方法を書き換えたいと私たちは考えています。世界の情報のインフラは、これまでのように巨大で一体となったトップダウンの構造よりも、ボトムアップもしくは(個人が様々なルートでつながる)ピアツーピアな構造が好ましいはずです。また、人びとが共有する情報を自らコントロールできることが、この「書き換え作業」の基本的な指針であることも申し添えておきます。

ボトムアップのピアツーピアとはまさにフラットである。その部分は僕も首肯する。ただしそのフラットな関係はクローズドなフェイスブック空間に作られる。そして、それはけっしてオープンではないのである。


なるほどFacebookは価値があるし、それをくさしても全く意味がないわけだけど、ここでのオープンの使い方は気に入らないねって話。だからFacebookには投資はしないよ。という彼の思想がわかったところで、さて、「パブリック」を日本語でしっかり読んでみるか。


関連記事で僕が共感するのこのあたり。
John Battelle
http://battellemedia.com/archives/2012/02/its-not-whether-googles-threatened-its-asking-ourselves-what-commons-do-we-wish-for.php

James Fallows
http://www.theatlantic.com/technology/archive/2012/02/facebook-google-and-the-future-of-the-online-commons/252522/

そして時すでに遅しという記事も。
Robert Scobles
http://scobleizer.com/2012/02/04/its-too-late-for-dave-winer-and-john-battelle-to-save-the-common-web/