『デジタルの際』鼎談

1つの章を担当した『デジタルの際』という本が昨年末に出版された。「集合性」⇔「個別性」、「情報」⇔「物質」という2軸で情報社会の様相に迫る企画である。2軸で作られた4象限が4部となり、各2章合計8章という構成。編集担当は河島茂生さん。

デジタルの際―情報と物質が交わる現在地点

デジタルの際―情報と物質が交わる現在地点

私の担当章(第1章)のタイトルは「ネットにおける集合性変容の予兆と資本主義」で、副題は「ユーザー生成型メディアの来歴と未来」だったのだが、この章を題材に学内イベントとして西垣通さんと柴内康文さんと鼎談する機会を得た。司会は川浦康至さん。私以外はみなすごい方です。


章の前半では、ユーザー生成型メディア=UGMのビジネスの一部に情報から物質という流れがあること。また後半では、UGMの投稿物に集合性から個別性という流れがあることを書いたのだが、当日は聴衆が学生ということもあり、後者が話の焦点となった。が、柴内さんからも西垣さんからも、私の内面に潜む前半と後半の二面性、ないしはその接面を指摘されたのでそのことをここに記しておこう。


柴内さんは「この章はお薦め。佐々木さんの二面性がとてもよく表れている」とコメントしてくれたのだが、これはそのとおり。情報の価値って何? それを経済的価値でとらえた場合に抜け落ちるものは? デジタルコミュニケーションの限界は? というあたりが私の関心だが、それを書いたのがこの章だから。師匠には学生時代に「お金儲けにも興味はあるが、そこをかなり批判的に捉える分裂的な佐々木くん」と言われていたのだが、20年前からつき合いのある柴内さんらしいコメントで嬉しかった。


また西垣さんは「この章で一番面白かったのは、集合性から個別性に向かうネット上のエゴコンテクスト・コミュニケーションが財になる可能性を指摘した部分」とコメントしてくれたが、この可能性こそが私の最近の大きな懸念。エゴコンテクスト・コミュニケーションとは、お互いの文脈に踏み込まない、自分の事情を優先し、それでいながら何とか関わりあおうとする表層的なやりとりである(詳しくは下記のトケコミブログの記事を参照)。実は、そういうデータこそがお金になりやすのではないかという気がしているのだ。『デジタルの際』が一般書だから、仮説的にポロッと書けた部分だが、その私の懸念を見逃さずに西垣さんに読み取ってもらえてこちらも嬉しかった。ここは具体的なリサーチに落とし込めたらぜひやりたいところである。


実は同僚であっても、教員同士は共同研究をやっていないと研究についてさほど話をすることはない。そういうこともあり、今回はとても良い機会であった。


学生が書いてくれた当日の紹介記事:
コミュニケーション学部教員が、ウェブをテーマに座談会「トケコミトーク」を初開催!|大学ニュース|東京経済大学

私が高校生向けに書いたトケコミブログの記事:
トケコミのめだま: 高校生・大学生はなぜツイッターを使うのか【トケコミのメディア研究】