ボタン・コミュニケーション

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あまりにご無沙汰していましたので、ささっと書いてアップしてみます。「それなりに」とか曖昧な表現が多いのは勘弁して下さい。


うちのゼミはインターネット・コミュニケーションを、特にウェブサービスやマーケティングとの絡みで研究するところ。かつてはウェブ好きが多くて、学生から新しいウェブサービスを教わったりということもあったのだが、最近はネットがあまりに普通になりすぎて、そういうことも減った。しかもマーケティングなんてのは誰もが興味を持ちうるある種つまらん話だから、「そういうのやっておくと就職によいかも」という邪な動機で入ってくるのもいる。ヤフーとアメーバとYoutubeとZOZOTOWNしか利用していなかったりするのがね。


さてそんな学生たちと、ボタン・コミュニケーションについて話したので話題提供。もう少し具体的に言うと、フェイスブックの「イイね」とツイッターの「お気に入り」について。


どちらもボタン一つで、その活動が相手に伝わるきわめてローコストのコミュニケーション手段である。このうち大きなところで学生の意見が一致したのが、「イイね」の方である。これは、相手に自分の意志を伝えるボタン。もちろんその幅は「あなたに関心がありますよ」から「本当に良かったね」まである。投稿内容を読んでいなくても「イイね」をつけておくという学生もそれなりにいた。


ただ「イイね」ボタンは「ほとんど使いません」という人もそれなりにいた。その意味するところは、「イイね」を押すにしては、ほとんどが大したことのない投稿だからというけっこう冷徹なものであった。


逆に私のまわり(のおじさんおばさん連中)でそれなりにいる、「イイね」ボタンだけでは「伝えたい気持ちが伝えきれないから」という意見は学生には見られなかった。つまりボタンよりも「コメントを書きたい」という考え方である。この手の意見はブログを書いているような人に多い。逆にショートメッセージ世代では出現しにくいのかも。


私自身も、このタイプで、あまり「イイね」はしない。もちろん多くのケースで「イイね」にも値しない「大したことないでしょ」的な評価を私に下されるコンテンツも多いけど。でも、じゃあ「大したことある」コンテンツのコメント欄に書くかというと、コメント欄にも大したコメントが並んでいないからそこにも書けない。かつてはそのコメント欄のトーン&マナーを汚さないために、相手のウォールに書いていたこともあったけど、最近はダイレクトメッセージかな。もといフェイスブックへの関心が薄れて気味だからそれもしなくなっているというのが実のところ。


ではツイッターの「お気に入り」に移ろう。こちらは自分自身があとでツイートを楽に探せるようにという意味で使っている学生諸君がかなりいる。あるいは「あとで読む」のためにつけられてもいる。これはうちのゼミがツイッターでの情報収集、すなわち向こうから自分の関心分野のニュースが入ってくる環境を作らせていることもあるだろう。「イイね」にはない使われ方だ。


一方で、当然のことながら「イイね」のように相手に自分の意思を伝える意味で押しているケースもある。つまり「お気に入り」の使用目的は大きく2系統に分岐している。そしてどうもその意思を伝える際の手軽さは「イイね」よりも上のようである。そもそもツイッターに流れてくるコンテンツが、フェイスブックに流れてくるそれよりもよそ行きでないからかもしれない。


恐らくツイッター自身は、「お気に入り」は検索機能的に使われることを想定していたのではないか。というのも、「お気に入り」を「イイね」的に押す習慣のある学生から、「あの「お気に入り」が沢山ついたツイートが「#見つける」(タブ)でフィーチャーされて、誰が「お気に入り」を押したかがわかるようになってしまうのは勘弁して欲しい」という意見が出たからだ。これは自分が誰にお気に入りしたかが可視化されることが生み出す、面倒臭さのエトセトラへの危惧なわけだが、ツイッターはこういう使われ方をあまり想定しておらず、単純に価値ある情報に「お気に入り」をして欲しいのだろう。


とにかく3年ぶりぐらいで日本の学生とつき合って感じるのは、彼らが本当に人間関係とコミュニケーションスキルについてかなり悩んでいるということだ。ただ、IT絡みについては同調圧力に任せるままという感じで(それがアーキテクチャの力なのだろう)、むしろその下地になる通常世界でのコミュニケーションスキルへの関心がとても強い。


冒頭で説明したような私のゼミでも、夏休みに好きな本を選んでレポートを書かせると、「聞く力」とか「受け入れられる話し方」とか「誤解を招かない表現」みたいな本が選ばれる。ということで、ついに来年度は、デジタルメディア系の教科書を導入することにした。もっとネットの世界に関しての研究をしてもらわないとろくにアドバイスもできやしない。