サンディエゴ滞在 雑感1

2年間のサンディエゴ滞在が間もなく終わる。2つのエントリーに分けて雑感をば。


1. 在米国研究者の研究
まずは研究の話から。米国での滞在先を探す過程で研究の量と質は高い水準にあるとつくづく感じたものだが、この印象は今でも変わらない。それでもこちらに来て確認できたのは在米国の研究者でもつまらない研究を量産している人はかなりいること。

これは若い人はもちろん40代後半でもTenureのない人は常に論文の量を意識しているから。そのため少し大きな、面白くまた学術的に貢献できるテーマを見つけて3年で2本、5年で3本の論文を書くということをやっている人から、とにかくはやりに乗っかって年に4,5本書くということをやっている人までがいるわけである。1年契約のAssistant ProfessorがしゃべるResearch Seminarなどでこのグラデーションはずいぶんと感じた。これは研究者が永遠に付き合わないといけないバランス感覚で日本と変わらない。ただアメリカの方が全体の量が多いから良い物の出てくる数も多いということ。


2. San Dieganの生活
全般に早寝早起き。平日の夕方17時からの子どもの野球の試合を両親で見に来ているケースがとても多いので気づいた。1つは東海岸の勤務時間に合わせて働く人がいるからで、あとは民間企業に比べ公共サービス勤務者が軍関係を含めて多いという事情もありそう。本当に夕方早くに仕事を切り上げるケースが多くフリーウェイの渋滞は16時過ぎから始まる。アイビーリーグでは夜19時から他の教員の発表を聞きに行くのが通例だが、ここではそれもほとんどない。

郊外まで含めたサンディエゴは160万人が住むアメリカで7番目の大都市だが、それでも東京から来た私から見ればはるかに田舎。文化的な催しの不足に代表されるように私には刺激が乏しい街だったが、逆に言えばとてもシンプルな生活。他にやることがないし、そもそもそういうものの存在を知らないから、子どものさまざまな活動の送迎をやって、子どものスポーツの試合も観戦する。日曜日の午後はアメフトの試合に3時間半費やす(1時間以上はCM)。ゆったりとしていて、それは1つの豊かな生活のありようであった。

ただ車1台の我が家では週末も子どものスポーツに付き合うことが余儀なくされ、自分の気晴らしに出かけることができなくて新鮮味が薄れた2年目の夏以降は辛かった。


3. San Diegoの公立小学校
最大のストレスはこれ。1つはUCSDへの訪問研究員の寮が学区にあり、日本人が多くて子どもの英語の上達がままならないのではというものだったが、こちらについてはほぼ杞憂だったのでこれ以上は触れない。

もう1つの問題はカリフォルニア州の教育予算の削減。6,7年の間ずっと教員が解雇され続け、1クラスの人数は24,5人から33名ほどに増えている。解雇されるのは若いもしくは科目専門教員で、今は体育が週1時間、音楽が週2時間。家庭科はもちろん美術もない。

勤務年数が多い人をやめさせるのは難しい。ところが年寄りのTenureを得た教員には本当にどうしようもないのがいて、うちの子の2年目はそれに当たったから最悪だった。やるべき内容が終わらず(というかほとんど手を付けず)、1学年下のクラスよりもScienceの共通テストの成績が悪かったというからそのひどさがわかるだろう。つまり運が悪い(15%ぐらいの確率)とひどい目に遭う。学年初に担任がだれになったかで一喜一憂する親の姿が目についたがそういうわけだった。担任がひどいため転校させるケースもいくつかあったが、これがアメリカの初等公教育の実情。逆にできる子が集まる地区(教育に優れるとされる公立小学校)もあり、そういう場所は不動産価格がすこぶる高い。

うちはあまりに息子の頭をつかう時間が少ないので、私がそれまでの漢字や熟語に加えて、渡米後半年で日本の算数の上級問題を週に5時間ほどの時間を費やして教えることになった。それでよく週末に喧嘩していてこれも大きなストレスを生んだ。うちは妻が英語ができ唯一の学校の宿題であるBook Reportは彼女が子どもの面倒を見てくれたので何とかまわった感じ。