「どこで読むか」よりも「何で読むか」が影響するかも、という話

結論から言うと、情報過多を感じる程度にはニュースを「どこで読むか」よりも「何で読むか」が影響するかもしれない、という話。スマホアプリ開発などしている人はうすうす気づいていることかもしれないけれど。


テキサス大学のAvery Holton and Iris Chyiが15の「ニュースソース」と情報過多の感情との相関関係を調査した。その結果、両者に正の相関が見られたのは15のうち3つ。逆に負の相関が見られたのは2つであった。


15の「ニュースソース」とは"News Platform"(デバイスと言っても良いかな)とされた紙の新聞、テレビ、ニュース雑誌、コンピューター、ネットブックiPhone、その他のスマートフォン電子書籍端末、iPod TouchiPad。それに"News Outlet"とされたニュースポータル、FacebookTwitterYouTube、ブログである。


ソースはHow we read, not what we read, may be contributing to our information overload » Nieman Journalism Labという記事で、記事中に論文のリンクもある。ただしDBを契約している機関からでないと論文はDLできない(こういう時ホントにアメリカの大きな大学はストレスフリー)。


種明かしをすると、正の相関があった3つは高い方から、電子書籍端末、Facebook、コンピューター。負の相関があった2つは同じく高い方から、iPhone、テレビであった。なお女性の方/年齢の高い方が情報過多を感じ、ニュースに興味がある層が情報過多を感じていないという結果になった。


Holtonらは、電子書籍端末についてはまだ普及率が5%と低く今後の調査次第、コンピュータは仕事で使うことが多いからそう感じるのだろう、Facebookもそもそもニュースをそこでは望んでいないからそう感じるのだろう、と解釈している。一方テレビはリラックスした状態で見ているから情報過多を感じない、またiPhoneについてはニュースを見るのに書式的に最適化されたアプリを利用して特定のニュースサイトのニュースを読もうという気持ち読んでいるからそう感じないのだろう、と解釈している。


さてここで論文から記事に戻ろう。その筆者が興味深いとしているのは、コンテンツを提供するWebサービスが何か/どこかよりも、そのコンテンツを提供するデバイスが情報過多と感じるか否かに影響しているのではないか、という示唆をこの結果が与える点。記事のなかではHoltonのコメントとして、「実際に読んでいるNews Outletの数とNews Platform数には相関がない」や「News Platform間の差異の方がNews Outlet間の差異よりも大きい」というものが紹介されている。


で、ここまでの事実を書いて終わろうと思っていた僕にちょっと考えさせたのが、スマホ用のアプリで読むと「リンクや他に気の散ることが最小化されている」といった記事中の表現。


「おいおいリンクもかよ」。


この表現は、「なるほどもはやPCWebはそれほどまでに醜い場所になってしまったのか、リンクというWebの本質的なものはアプリには優るのに」という残念な気持ちを僕に感じさせた。僕は依然としてハイパーリンクがけっこう好きなので、「アプリ」よりもWeb派なのだが、同時に情報過多は大嫌いである。現にWebページの広告などを消してくれるReadabilityのヘビーユーザーである。


そんな僕ではありながら気づかなかったのが、この情報過多の問題からリンクが豊富ゆえWebが死ぬという理屈。単にスマホタブレットの方が台数的に普及してみんなアプリで情報を見るようになるという話ではなくて、リンクなどで醜くなりすぎたWebが「自滅」するという理屈。きっと多くのPCからのWeb閲覧者はまだ醜い猥雑な画面で読んでいるのだろうけど、そして僕のこの手の心配は外れることが常だが、このWeb自滅説は1つの力学としてはあるかもしれない、と思った次第。