ソーシャルメディア上の沈黙の螺旋とスマートニュースへの期待

先日PewがSocial Media and the ‘Spiral of Silence’というレポートを発表した。米メディアでは話題になっているこのレポートのタイトルの「沈黙の螺旋」とは、自分の主として政治的な意見が自分のまわりの人びとと異なると判断された時に人はそれを表明しなくなるという現象で、ノエル・ノイマンによって指摘されたものだ。

沈黙の螺旋理論[改訂復刻版]: 世論形成過程の社会心理学

沈黙の螺旋理論[改訂復刻版]: 世論形成過程の社会心理学

Pewの調査では、スノーデンが暴露したNSAの通信傍受活動の是非がアメリカ人において二分していたゆえ、この話題に限って、それをどのような場面やメディアで話題にするかが調査された。その結果が次のグラフで、家族と夕食の場でそれを話すことに(まあ)前向きというのが75%、友人とレストランでという場合には71%。それに対してフェイスブックツイッターだと43%と41%と大幅に下がり、この2つのツールでは(論点が割れる)この手の(真面目な)話題の提供はなされていないと報告している。

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ソーシャルメディアは多様で、かつ時に少数派の意見が尊重され、議論される場になるのではという期待に違った結果で、少々残念ということだ。


ただしそもそもフェイスブックは議論のためのツールではないし(その投稿準備インターフェースは意見を論理的/理性的に述べるにはあまりに狭いし、元をたどればイケてるギャル発見ツールだったとさえ言える)、基本的に類は友を呼ぶの友だち、仕事での付き合いがあるまああまり不機嫌にさせたくない連中で構成されるネットワークだからこのデータは自然とも言える。


またツイッターにしても議論のためのツールではなく、さしたる意見を伴わない情報共有と、近しい友だちとの日常的なコミュニケーションのツールが2大利用目的である。そして前者にしても、あえて異なる指向性を持つ人をフォローしている人が多いかといえば、恐らくそうではないだろう。パリサーはその著書で投稿が時系列で並び、フェイスブックのようにアルゴリズムで表示コンテンツがコントロールされるよりもツイッターのほうが良いと言ったが、現実はそう甘くはないのではないか。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

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実際Pewの調査でも、下のグラフのようにスノーデンの話をした場合、あなたの考えに相手が同意してくれると思うか、という割合は配偶者の86%は他に比べ高いとしても、親しい友だちだと74%に下がり、職場の同僚(64%)とフェイスブックの友人(63%)には差がない。つまり同意してくれるだろうと考えられてもフェイスブックでは投稿されない話題、別の言い方をすればその場に相応しくない話題、それがスノーデンーNSA問題なのだ。

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ではそういう意見が戦わされるフォーラムをネット上にでも作ればうまくいくかというとそれはUIやアーキテクチャだけではうまくいかないと僕は考えている(最近のG+のコミュニティってどうなんだろ)。現在の技術では、ちゃんとしたモデレータがいないとやはり沈黙の螺旋は起きるだろう。たかだが商品レビューの投稿だって、どういう理由で投稿するかという問いに対しては、「すでに投稿されたクチコミに共感するから投稿」のほうが「すでに投稿されたクチコミに違和感を感じるから投稿」を上回る結果が僕の調査結果では一貫して得られている。共感は普遍に寄り、違和感は多様性に寄る傾向があるだろうから、どうしてもある大勢に収斂していくし、それを人気ランキングアルゴリズムが強化する。


さて。というの話をした上で、このPewレポートを読みながら思いを馳せたのはニュースアグリゲータアプリのSmart Newsのことである。


創業メンバーの鈴木健とは15年来のつき合いだが、彼は昔からふさわしい情報をふさわしい人へということを考えていて、実際そういうウェブサービスの開発もしていた(STN=Social Trust Networkだったと思う)。それが浜本階生というパートナーを経て新しい会社を作ったわけだが、その第一弾サービスは http://www.crowsnest.tv/ であった。この見張り台という名のウェブサービスツイッターで「自分が=Ego」フォローしている人たちの間でよくリツイートされている記事をピックアップするもので、僕は今でも愛用している(ちなみにツイッターでは英語圏の専門家と専門ニュースソースを中心に60名フォローして、しかも2人以上にRTされたツイートを読むのが習慣。そうすると1日10ツイートにたいてい収まる)。


がしかし、「僕に気に入られるサービスはスケールしない」の法則通り、浜本&鈴木の会社にとっては「これじゃいかん」という事態になり、解析対象のネットワークをEgoからWholeに大きく広げて、マスメディアになろうというピボットの結果がSmart Newsである。核となる技術がそのまま応用できて、で、400万ダウンロードで、テレビCMも展開する会社になった。


Smart Newsが上のフォーラムのような場になるとは思っていないが、少なくとも強制的に「読むべきもの」を一覧で見せてくれる場にはなるのでは、という期待はある。Googleニュースというのもあるが、Smart Newsの場合、ツイッターで多くの人がRTした記事が抽出されているから、より人間的/民主的(衆愚的)である。これから行う僕らの分析で、どんな内容のものが、どんな理由でRTされるのかという結果が出てきたら彼らとは話をしてみたい。


かくいう僕はスマニューについては自宅のタブレットにしか入れていなくて、週に3回ほど開くだけのユーザーだが、「おいおいずいぶんナンパになったね」というのが14年年初の印象であった。昨夏にまだ10人規模だった同社を訪ねて浜本さんを鈴木に紹介してもらった時は「ヤフーニュースの層を取り込むにはソフト路線に行くしかない」と言っていて少々がっかりした。がしかし、最近はちょっと印象が変わってきて「少しハード路線に戻した?」というのがその印象だ。相変わらず「コラム」は健在だがww。この印象は単なる僕の勘違いかもしれないし、自分の閲覧端末がタブレットだからかもしれないし、年長者の藤村さんの見識なのかもしれない。


ちまたでは8月に36億円も資金調達したことが話題だ。その1つがAtomicoだったからRecodeでもExclusive: Twitter-Mining News App SmartNews Raises $36 Million from Atomico and Gree | Re/codeと取り上げられたけど、むしろその後に出たこちらの記事が興味深かった。スマートニュース鈴木会長、ロングインタビュー「公共性を担いたい」 - withnews


冒頭で「鈴木はもう会長になったのか!」と驚かされるこの長い記事の前半の調達プロセスやネイティブ広告の話は個人的にはどうでもよくて、最注目点は最後の段落での鈴木健はこの発言である。

メディアはいま、“300年くらいぶり”に大きく変化する時代にさしかかっていると思います。80億人のうち50億人がスマートフォンでニュースを読むことになる。これがもたらす社会的なインパクトは非常に大きくて、そこを担っていく存在になりたいと思っています。「公共性が高い存在」というところを認識しながら、ニュースアプリを運営していきたいです。


記事的には面白くないだろうということで、最後にちょこっとしか書かれなかったんだろうけど、実はこの記事のタイトルには「公共性を担いたい」とあるわけで、鈴木健はそこには意識的なんだと思う。「なめらかな社会」を500年先の読者に向けて書くぐらいだから。

なめらかな社会とその敵

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そろそろ終わりにしようと思う。で、Pewの調査結果を見つつの僕からのSmart Newsへのリクエストはさしあたり以下。ニッチサービスになってしまわない程度に考慮して欲しい。

  • 現在のところメディアサイトでは無料で見ることのできないオピニオン記事の類をコンテンツに盛り込んで欲しい(そうしたら有料課金でもオッケー)
  • その上でオピニオン記事をある程度目につく位置に強制的に表示して欲しい(それはPlusではダメ)
  • 記事単位の伝搬ネットワーク構造も分析した上で、別々のクラスターで伝搬している事実記事をバランスよく対照的にかつ両方を読みやすいように表示して欲しい
  • 「おもしろ」ではなくて「読むべき」記事の抽出アルゴリズムの開発および精度向上(多分専門家ネットワークの抽出が必要になる)


ツイッターがこけるとスマニューもこけちゃうのかどうかはわからんけど(似たサービスに同社の技術は適用できそうだけど)、スマニューにはとーっても期待しています。その「公共性」を意識した大金の使い方に。

『つながりを煽られる子どもたち』

学生に紹介した手前、自分も手に取り、喫茶店で読みました。うすうす感じていたこともありましたが、他にも、いくつか知らなかった事実もあり、論理展開には概ね納得させられました。

  • 2000年代に入り、「友人や仲間に悩みや心配を感じる」人が増加傾向。そして同時に「充実感を覚える」人も増加傾向。
  • 16−19歳の「親友」「親友以外の仲の良い友だち」「知り合い程度の友だち」の合計値は2002年66人から2102年125人へ。最後のカテゴリーの伸びが大きい。そして、分散が大きくなっている。つまり使い分けされるような友人数における格差が拡大。
  • 拠り所となる価値観は消失し、回りの人からの承認の相対的重要さが上がる。だからあえて嫌われるようなリスクは取りづらくなる。したがっていつも一緒にいるメンバー(イツメン)とて、必ずしも心を許しあえる関係とはいえない。
  • 「自分がダメな人間だと思うことがある」高校生の比率は高まっている。
  • ティーンの子を持つ親の経験した環境と今の子の経験している環境は30年前の親子が経験した環境の差ほど大きくない。これが一面では親子関係の良好さの上昇に現れているが、それは親と子どもの間でも承認を求め合う関係となっているということでもある。そして親は子どもに「友人を大切にする人」になることを望む。
  • だから友だちにしろ親にしろ、「親友以外の仲の良い友だち」「知り合い程度の友だち」のマネジに注力する。質ではなく、量を増やしそこから「イイね!」の数を増やすという話。だからスマホ中心に「つながり依存」これは「コンテンツ依存」とは別。
  • ちなみに「自分には良い所がたくさんある」と思っている子どもの方がケータイ・スマホ利用時間は短い。家族が自分を信頼していると感じている子どもの方がケータイ・スマホ利用時間は短い。
  • いじめについて言えば、イツメンが予想外の行動をしたらどこでも起こりうるものになっている。明らかに異質な者に対するものではなく、危ないながらも均衡していたメンバーの調和が乱された瞬間どこででも起こる。

紙の新聞を再開して3月

新聞の定期購読をやめたのは、たぶん07年のどこかだったと思う。その後も週末のみ紙の新聞は購入して読んでいたし、大学図書館などで読むこともあった。それでも紙の新聞(毎日新聞)が毎日宅配されるというのはやはり違う。毎日新聞にしたのは、もっともページ数も広告も少ないから。ちなみに今日は「新聞を読む日」(4月6日)だそうだ。これも新聞で知ったのだが、消費税率アップのこの時期、各国の新聞の税率を紹介した特集記事が載っていた。


定期購読を再開した理由は2つある。1つは子どもが中学生となり、多くのことに目を向けて欲しいと思ったからである。自分の場合は小学生時代から紙の新聞が自宅にあり、それによって色々なことを知ったので、それゆえだ。ただし、まだ当の子どもに新聞閲覧の習慣は生まれていなくて、たまに読んでいる程度。


もう1つはネット上のノイズが増え、どうしてもネット好きの私としては、そういうものに費やす時間が多くなってしまい、それを反省し、伝統的なジャーナリズムとパッケージメディアに戻してみたというものだ。仕事を離れた妻が紙人間というのもある。以下徒然に。


新聞で取り上げられるテーマについては、自分で考える(ただしちょっとだけ)ことが多くなったと思う。アメリカ時代に比べるとそれでも少ないが、国際的な政治(経済)情報に触れる機会が増えたように感じている。当然ながら新聞には、事実記事以外にもオピニオン記事もある。毎日新聞はけっこうここで特色を出そうとしている印象を持っているが、それを読むとそれなりに考える。こういう意見記事中心のウェブサイトもあるのだろうが、この点については紙でゆったりした気持ちで読んでいるからという理由もあると思われる。


映画、美術展、博物館などの情報、また「ふーん、こんな話もあるんだ」という主として地方版に書かれた内容に出会う機会がうんと増えた。映画や美術展に関しては、ツイッターフィードリーダーなどでも情報を得ているが、実は映画や美術の鑑賞に関して私はどちらかと言えばマスに近い人間なので、新聞ぐらいの情報の方が心地よい。


アジェンダ・セッティングの力、論調の力はやはり大きいと感じる。やっぱり権威とか信頼性というものがネットメディアよりあるので、それとなく「そんなものかなぁ」と論調を信じてしまうことはある。ただ同時に半権威的な自分もいるので、たとえばNHK会長の発言やSTAP細胞論文ねつ造について、かなり熱心に毎日新聞が読者欄も含めて取り上げている様子を感じると、逆に反発を感じることはある。


自分の専門分野で起きていることについては新聞から得るものはほとんどなく、ネットメディアで事足りる。厳選したブログと英語中心のツイッターのフィルタリング、それとはてブ。知ったかぶりも必要な実務家じゃなくなったので量的にはこれで十分。論文書けば、学術誌にも目を通す。ただ、専門に関連する社会的な事象について少し深く考えるためには、たまに力を入れたブログを書くか、一般書への原稿を書くことが必要とも感じている。


逆にこれまで学生から教わるしかなかった(それもその機会は稀少)、はやりの芸能人やテレビ番組の名前だけは少し知るようになった。


紙の新聞を毎日読むようになって、当初の狙いどおりフェイスブックの利用時間や頻度は減った。それでも2日に1度は見ているけど。あとは、ブロゴスが減った。ブロゴスで人気のあるようなブログの水準が下がってきたなぁという印象をもつようになったのがここ4,5年で、実際フィードの登録数もどんどん減ってきたわけだが、新聞を読む時間が増えた分、かつては週に1,2度それでも閲覧していたブロゴスにはもう行かなくなった。


あとは、想像はついていたが、体験してみると新鮮だったのは、もう(よく目にしがちな)ネットメディアよりも新聞の方があるテーマについて取り上げる期間が長くなっているという現実。むかしは「テレビや新聞には時間やスペースに制約があるが、ネットでは長期にわたって特定テーマが取り上げられ議論される」なんて教えていたけど、まあもう人気メディアについてはネットの方がエフェメラルですね。


総じて今のところ、紙の新聞は再開してよかったと思っているが、1つにはこの1月から3月というのが一番拘束時間の少ない時期だということもあると思う。学期が始まると毎日届くものが読めなくなるような気もしている。


また4000円/月は高いなあとも思う。自分にあった商品パッケージと価格でいうと、月1500円での毎日の電子配信(紙と同じものがビューアーアプリで見られるもの)、それにオプションで、火・木・土・日の紙での宅配をつけて2500円という感じのもの。

『コミュニケーション学がわかるブックガイド』続報

先般、『コミュニケーション学がわかるブックガイド』という本を28人で書いたということはお知らせしましたが、それについての関連ブログポストがいくつかあるのでご紹介。


引用文献の分析からわかること
柴内教授による分析その1(採用文献間の引用の分析)


『ブックガイド』刊行1ヶ月記念 :文献出版年を分析する
柴内教授による分析その2(採用文献の出版年の分析)


コミ部ログ: 評者索引
そして、誰がどの本を評しているかのデータ。査定に使われるという噂はいまのところない。


ちょっと息抜きしたので、夏期のゼミの企画という仕事に戻ります。